日本工業倶楽部の創設にかかわり、産業合理化運動に尽力し、商工大臣として製鉄合同を果たした中島久万吉。足利尊氏事件・帝人事件の被告となり失脚。戦後復興期にはGHQに直言し、80歳をすぎて青年教育に晩年を捧げた。渋沢栄一との深い関係、一橋大学への支援とは何か。碧巌録を提唱し、坐禅会を開いた異色の財界人の生涯を掘り起こした労作。